食文化こぼれ話Part2「保存食」の食文化―4(2)2018/01/10(Wed)

§ 乾燥法
♪ 太古より、食材を乾燥すると長持ちするという現象に気がつき乾燥保存法が生まれたと考えられます。「乾燥法」は5000年前には世界中にあったといわれております。この方法の理論としては、乾燥により微生物あるいは食材からも自由水が失われ、腐敗や食中毒を起こす微生物の増殖、生存ができなくなるからです。世界的には肉類、海産物、野菜、果物など多くの食材が乾燥法により保存されました。
☆食品を乾燥したものは“干物”、特にとして私たちには海産物の干物として知られますが、野菜や果物にもこの方法は使われました。のちに餅(干餅)やご飯(干飯)、麺(乾麺)などにも乾燥保存法は使われました。
☆ここで日本の干物の歴史をみますと、海のない首都・奈良に居る上流階級の人々への献上品として、海産物のとれる沿岸部から運ぶのに干物が必要でした。ちなみに、小魚の丸干しである「きたひ」、内臓を取り除いた干物の「あへつくり」、大きな魚を細かく切って干した「すはやり」といいました。平安時代には、海産物の干物の量が増え、また、海から遠い京都の貴族などへ送るために干物を作る技術も発達しました。このころの干物は「からもの」といいました。江戸時代には干物の製造技術はさらに発展し、競って干物を徳川幕府に献上しました。また干物が庶民にも親しまれ始めました。
☆世界の乾燥食材を使った加工品や料理を見てみましょう。日本の代表的なものだけでも「たくあん」、「干し柿」、「アジの干物」、「身欠きにしん」、「干し昆布」、「干しシイタケ」、「鰹節」など多くの海産物やその他の干物があります。これらを用いた焼き物、煮物、漬物などがあります。世界的にはイギリスの「キッパ―」には北海でとれるニシンやサケの乾燥したものを使います。西アフリカの「デーツ」は乾燥させたナツメヤシの実です。北米インディアンの「ぺミガン」には干し肉、干し果物(ドライフルーツ)を使ったものです。「チューニョ」は、南米の先住民の食べる干しジャガイモです。「プロシュット」は、イタリアでブタのもも肉を塩漬けしたあと乾燥させたハムです。「ハモンセラーノ」は、スペインで豚肉を塩漬けにしたあと低温で長期間乾燥した生ハムです。モンゴルの「ボルツ」は、干した牛肉を細かくしたもの、その他世界中に乾燥して保存性を高めた食材、料理はたくさんあります。
♪ 乾燥法の価値は食品の保存の他に、干すことによる食材の味や旨味が濃縮し濃くなります。また、干した食材が水で戻せるのも大きなメリットです。乾燥した食材が軽くなり持ち運びが容易になるのもメリットです。また、乾燥法は、塩漬けや発酵、燻製との組み合わせもと多くあります。
♪ 次に、これも歴史的に古い燻煙・燻製による保存法をお伝えしましょう。この方法も、人類が火を、暖を取るため、夜の光、害獣を脅すため、などに使うほかに、食材を焼いたり蒸したり料理をするために使いました。その際に食材を燻煙し燻製することで保存ができ、味が深まることを発見しました。
☆燻煙・燻製法の基本は、寒冷地で木材などを燃やしたり時間をかけて燻らせて、燃えている木材の周りに置いた食材や食品を熱や煙(燻煙)で食材、食品の保存する方法です。もともとは寒冷地の冬は日差しが充分ではないために、食材や食品を焚火や暖炉、囲炉裏などで乾燥させることから発展したものです。
☆燻製に対しては試行錯誤を重ねて知識や技術が得られてきました。燻製をする温度や時間により、“熟燻”、“温燻”、“冷燻”に分かれます。“熟燻”は、80℃以上で長くとも1時間燻す燻製です。イギリスやアイルランドなどで朝食に食べるニシンを塩漬けにした後に燻製する「キッパ―へリング」などが代表的なものです。保存性は少ないです。“温燻”の代表的なものは、ベーコンやスモークジャーキーなどです。これらは30~60℃で数時間から1日ぐらい燻すものです。燻製による保存食品はこの“温燻”を指します。“冷燻”は、15~30℃で1週間~1か月煙で燻す方法ですが、木材を高温にしますので煙も高温です。従って冷やすことをしなければなりませんし、長い間15~30℃を維持しなければならないために装置も必要ですのでお金がかかります。製品は生ハムやスモークサーモンなどですが、じっくりと燻した風味が出ます。
☆燻製品は、欧米では、先に述べましたベーコン、生ハム、ジャーキー、スモークサーモン、ソーセージを使ったくさんの料理に使われます。また、日本ではいぶりがっこのほかに鰹節を出汁として使った料理は無数あります。
♪ 燻製には、サクラ、ナラ、ハンノキ、ブナなどの樹木が使われますが、泥炭も使われます。これらのもの燻煙の持つ抗菌性・殺菌性作用の主体は、フェノールやクレゾールなどのポリフェノール類、アルデヒド類いう化合物群です。一般に燻煙には50種類以上のポリフェノールが含まれているそうです。燻煙が放つこれらの化合物は、それぞれが微量ですので安全性には全く問題はありません。そして何種類もの微量の化合物の相乗作用で腐敗や食中毒を抑えている上に、得も言われぬ風味を出しているのです。
♪ ここで燻製の歴史をみてみましょう。今から13000年前の石器時代には獲った鳥獣の肉や魚を、焚火の火や煙で乾燥させていると保存が効くことに気がついたといいます。
☆今から約2000年前の古代ローマ時代にはドイツ地域を中心に狩猟を得意としていたゲルマン民族はすでに会得していた塩漬けの方法と、燻煙による方法を融合させて燻製法を確立したといわれます。この融合は保存のためだけではなく、風味を楽しむ料理法としても使われたことは大きいと言えましょう。その後、さらにスパイスを使うことにより、保存としても料理としても進化させました。
☆ベーコンは、豚肉(バラ肉)を塩漬けにして塩を抜いたあとに燻製にしたものですが、ベーコンの発祥は紀元前数世紀のデンマークといわれております。その時燻るために使った薪が湿っていて煙がたくさん出たのが幸いしたといいます。ベーコンの名前は、イギリスの政治家・フランシス・ベーコンに由来しています。生ハムは紀元前7000年にはあり、豚肉(モモ肉)を塩漬にしたものです。そのあとの処理により二つに分かれます。イタリアなどでは乾燥はしますが燻製はしないのに対して、ドイツでは燻製します。ジャーキーは、アメリカインディアンがバッファローの肉を乾燥した保存食です。今では、牛、豚、鶏、馬などの肉を使います。そして、これらの肉を塩漬けにし、塩を抜いた後乾燥、燻製したものがスモーク・ジャーキーです。スモーク・サーモンもスモーク・ジャーキーの一つとみられ、サケのとれる世界の各地で作られております。アイヌが燻製したスモーク・サーモンは、「トバ」といいます。
☆日本でも寒い地域でダイコンなど野菜や魚を乾燥して冬の保存食にしていましたが、充分な日差しがないために、室内の囲炉裏の周りで薪の熱と煙で乾燥しました。その時に煙により保存性が増し、風味が食材に染み込むことに気がつきました。このような燻製の代表は「いぶりがっこ」と「鰹節」です。日本人が肉を食べるようになったのは明治時代以降ですが、食肉の加工法はアメリカ人のペンスに長崎の片岡伊右衛門が習ったそうですが、ソーセージの作り方は第一次世界大戦のドイツ人捕虜が広めましたが、本格的なソーセージやハムの製作はドイツ人のカール・レイモンが1925年(大正時代)に函館に工場を作ったことにより始まりました。
☆「いぶりがっこ」は、室町時代に秋田で生まれました。天日で乾燥した大根を囲炉裏の周りで燻製し、米ぬかと塩で漬けたものです。“いぶり”は“燻る”こと、“がっこ”は秋田弁で“漬物”のことです。風味の深い漬物であり今も人気のある漬物です。
☆「鰹節」の起源は1000年以上前といわれております。その中で鰹節を燻製する方法は、1674年に紀州の甚太郎が考え出しました。のちの1758年に土佐の与一が、燻製法に改良を加えて今に至っております。鰹節を作る工程は複雑です。冷凍カツオを解凍し、頭と内臓を取り除き背節と腹節を2本づつ節を作ります。それを、籠に並べて75~98℃の湯で60~90分ほど煮ます。その後は傷つけないよう骨を抜いていきます。骨抜きを終えた段階の節は鮮魚とほぼ同じ水分を含んでおり、ここからあの堅い節にするために乾燥させていきます。まだ水分が多いので保存性は低い状態です。最初に行われる焙乾を「一番火」といい、特に「水抜き焙乾」と呼ばれます。本節では「10~15番火」で乾燥と燻製をします。焙乾工程を経た荒節(鬼節)を半日ほど日乾し、2~3日放置して、カビがつきやすいように表面のタール分や滲み出た脂肪分を削り落とします。その後カビを付けます。カビを節全体に付けることにより、カビが成長する過程で節の中心から水分を均等に吸収して乾燥してくれます。また「カビ付」は微生物の働きにより発酵・熟成する効果があります。さらにカビが節の表面の脂肪分を分解してくれるため動物性食品でありながら脂のない澄んだ透明な「だし」がとれる鰹節になります。最後に日干しをします。このように大変な時間をかけた鰹節は世界に誇れる燻製品ですが、カビがついていることで、輸入を禁止している国もありますが、最近、そのような国では現地で鰹節を作るようにしています。
♪ このように燻製法は全世界で大昔から使われてきた保存法であり、料理法です。先人の知恵には脱帽せざるを得ません。次に冷却法についてふれたいと思います。
§ 冷却法
♪ 現代のように氷を作ったり冷媒で冷却する冷蔵や冷凍ができない大昔は、天然の氷は寒いところで出来る天然の氷や、高い山で出来る氷を利用しました。温暖なところで氷を使うためには寒いところまたは高山の氷を運んでこなければなりません。このようなことができるのは強大な権力者か大金持ちしかできませんでした。
♪ 彼らは、料理や食材の保存というよりは、酒の保存や冷菓の保存に氷や雪を使いました。ただし、寒いところに居る庶民は、身の回りにある天然の雪や氷、冷たい湧水、冷たい川の水を野菜や魚などを冷やすことに使い、温暖な市域の人は山から来る川水や湧水を利用しました。しかし、いずれも長期間、長時間冷却するのは難しい状況でした。
♪ 「氷室(ひむろ)」は、地中に掘った穴や山腹や崖をくり抜いた穴などに氷や雪を貯蔵し冷温を保つ部屋です。
☆古代には自然の洞穴、洞窟などを利用していました。氷室は日本にも外国(イラン、スコットランド、スペイン、イタリア、アメリカなど)にもあります。地上にドーム型に土や後にはコンクリートを固めた氷室もあります。
☆ここで氷の利用の歴史をみてみましょう。紀元前1000年ころに、中国の寒冷地ではすでに自然の洞穴や人工の穴に雪や氷を蓄えていました。紀元前330年に、アレキサンダー大王はペルシャとの長期戦に備えて30もの大穴に雪を蓄え、葡萄酒を貯蔵していました。西暦に入って、ネロやシーザーは権力にまかせてアルプスなどから氷を運ばせて、飲料水やワインを冷やし、蜂蜜と混ぜて冷たいスイーツを楽しみました。11世紀にはサルタンたちはシリアから雪や氷を人やラクダで運び、シャーベットなどを食べました。12世紀にはイギリスのリチャード王はサルタンの影響を受けて、多くの氷室に溜めた雪や氷で、冷たい飲料水、酒、冷菓を楽しんだようです。19世紀には氷は国際的に重要な商品となり、フデリック・チュードルは、世界で初めて採水から製氷、氷販売を始め、ジャマイカを襲った高熱病の治療用に氷の輸出をしました。
♪ イタリアのジマラ教授による、冷却技術の発明によるものです。水に硝石を加えると、格段に冷却力が増すことを発見しました。16世紀の半ばには、ジマラ教授の発見を基礎にブオンタレ教授が、氷に硝石を加えることで冷凍ができる技術に進展させたことで、人工氷の製造が可能になり、食材、食品の冷却保存が可能となりました。
☆日本でも、当然古代から天然氷はあり利用していたのでしょうが、はっきりした記載は、日本書紀にあり、次のように書いてあります。4世紀に仁徳天皇の弟が、大和(奈良)の闘鶏(つげ)に氷室があるのを見つけ、闘鶏の村長に聞くと「夏に冷たい酒を飲んだり暑さをしのぐ目的で、冬にできた氷を貯蔵する室です」と言ったという内容です。7世紀の元明天皇の時代には、奈良の三笠山の周辺に国営の氷室を作り、氷の貯蔵をしました。平安時代には氷室の国家管理が制度化され、管理する氷室は京都の周りに21もあり、全国には氷の池は500以上もあったそうです。氷室の中の氷はカヤやススキを敷いたり掛けたり、包んだりして氷が溶けにくくしました。
♪ 平安時代に書かれた清少納言の「枕草子」に、「蜜を削り氷にかけて食べた」という文章があります。氷の主な使用目的は、神事に使う酒の管理、特権階級が飲む酒の貯蔵、上流階級が氷を食べたり甘味飲料を冷やすために使いましたが、江戸時代になりますと、腐りやすい献上品の流通に使うようになりました。
☆江戸時代になると氷の保存のきく雪国地方では、庶民も口にしていたといわれます。加賀藩では将軍への「献上氷」を始めます。加賀から江戸まで氷で冷やした真鯛を運びました。
☆明治時代の初期までは、氷室で保存していた天然氷を利用していましたが、明治10(1877)年に初めて人造氷がつくられたあと次第に人造氷の生産が増えました。19世紀には日本でも中川嘉兵衛という人が製氷事業を起こしました。そして、明治32(1899)年、鳥取県米子町に鮮魚用の冷蔵倉庫が建設されました。これが、わが国の冷蔵事業の最初とされています。しかし、当時冷蔵業は製氷事業の副業でした。本格的な冷蔵倉庫は大正時代の中期に出現します。第一次世界大戦後に、食糧を安全に保存する冷蔵事業に社会の関心が次第に高まりました。
♪ 余談ですが、当研究所が発信している「西野博士の食文化こぼれ話Part2」の「夏のお菓子・アイスクリームの歴史」には冷却法がなければアイスクリームが溶けてしまうので、間接的に冷却法の歴史にふれております。
♪ 高温による保存法に煮沸というのがあります。この方法は長時間煮沸するのはコスト的に難点があります。この方法を用いるのは、家庭のいわゆる“煮返し”や食品製造のある工程で殺菌のために行います。しかし、冷えて常温になるとまた微生物が繁殖します。
♪ 次回からは近代的な保存等についてお伝えしようとおもいます。

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■参考にした情報・文献
東松山市きらめき市民大学「保存食についての研究」
http://www.city.higashimatsuyama.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/37/kokusaiA.pdf
道の駅まるたけ「日本における干物の歴史」
http://www.boso-marutake.jp/contents/04.html
フリー百科事典「ウィキペディア日本語版」2017年2月4日(土)05:00「燻製」
ずっと燻製「燻製の科学」「燻製の歴史」「燻製の雑学」
http://smokeep.jp/13-learning.html
http://ずっと燻製.jp/11-learning.html
http://ずっと燻製.jp/12-learning.html
目指せ!燻製名人!「燻製作りの歴史」
http://www.kunsei-meijin.com/kunsei/02kunsei-nohajimari/
グエン・ヴァン・チュエン(桜美林短期大学)、加藤博通(東京大学)「くん製フレーバー研究の現状」日本食品工業学会誌、30巻、12号、722-728頁、1983年
(株)スモーキーフレーバー「世界燻製紀行」
http://www.peatshop.com/smoke/sekai-niku.htm
フリー百科事典「ウィキペディア日本語版」2016年5月15日(土)11:48「氷室」
寶船冷蔵「寶船冷蔵と冷蔵の歴史」
http://www.housen.co.jp/history/
神奈川県氷雪販売業生活衛生同業組合「氷利用の歴史」
http://www.kanagawa-ice.com/rekisi.html
東京海洋大学食品冷蔵学・鈴木徹研究室「氷を活かす" ~氷と食の歴史~」
http://www2.kaiyodai.ac.jp/~toru/websuzuki/research02_01.html