食文化こぼれ話Part3―大阪府(2)2015/02/27(Fri)

♪まずお断りしておきたいのは、明治時代までは、“大阪”を“大坂”といいましたが、ここでは時代に限らず、“大阪”と書かせていただきます。
§ 大阪(関西)と東京(関東)の食文化の違い
♪大阪(関西)と東京(関東)との間では、大阪人と東京人の気質や嗜好の違い、歴史的な社会の成り立ちの違いなどが食文化の違いに大きく影響しております。
♪前垣和義先生は、“味の好み”、“料理法“、“食べ方”、“呼び名”、“立地と気質”、“食べ物の発祥はどっち”の6分野の観点から、多数ある「大阪と東京の食文化の違い」の中から100の項目を選んで著しております。ここでは紙面の都合で数項目をご紹介いたします。
♪前垣先生の著書や他の文献から、「大阪と東京の食文化の違い」には普遍的に次のような要素があることがわかります。
☆“商人や町人社会の大阪人は、形にこだわらず実利的。東京の武士や江戸っ子は、形や格好を重んじる”。
☆“大阪は「丸み」を好み、東京は四角など「角をもつこと」を好む”
☆“大阪は「淡い味」を好む。東京は「濃い味」を好む”
☆“大阪は「白などの淡い色」を好み、東京は「赤などの濃い色」を好む”
☆“大阪人は「実利を優先するための柔軟な考えも持つ」が、東京人は、「物事に白黒はっきりさせる」ことを好む”
☆関西と関東との食文化の違いの境目は、だいたいのケースで名古屋と浜松の間にあるといわれております。もう少し大きく範囲をとると、地質学的な構造の境目であるフォッサマグナ(糸魚川・静岡構造線)という方もおります。
♪以下に実例をあげますが、紙面の都合上、
☆にテーマ、①に食文化の違いの要点、②に簡単な違いの理由、を書きます。
☆「野菜」:
①大阪の野菜はおいしいが、東京(江戸)の野菜はおいしくなかった。
②大阪は、淀川水系などの水の質が良く、野菜に泥臭さがなくおいしいが、江戸などの関東の関東ローム層の土からとれる野菜は、泥臭くおいしくなかった。
☆「魚」:
①大阪の魚は、白身が多い。東京は赤など色の付いた身の魚が多い。
②大阪で食べる魚は、瀬戸内海でとれるタイやハモなど白身の魚が多く、さっぱりした味で生臭さはない。東京の江戸前でとれる魚は、マグロなど色の濃い身の魚が多く、脂はのっているので味は濃いが生臭さがある。
☆「醤油」:
①大阪など関西は、淡口醤油で色は薄く味が淡く旨味に富むのに対して、東京などの関東は濃い口醤油で色も味も濃い。
②大阪など関西でとれる野菜や魚は素材に繊細なうまさがあり、野菜の色も鮮かであり、魚の色も白身など淡い色なので、この旨味や色に邪魔にならないような淡口醤油が生まれ使われた。一方、東京など関東の野菜は泥臭く味も悪く、魚も生臭いものが多いので、濃い醤油で生臭さを消して味は醤油でつけた。濃い口醤油は、赤身など魚の色には濃い口醤油の色は邪魔にならない。
☆「餅」:
①大阪は丸餅、東京は切り餅の四角。
②大阪は搗きたての餅を手で丸めて使う。関東は、搗きたての餅をのばして四角く切るのは、四角が男性的とする武士文化の影響がある。
☆「握り飯」:
①大阪は“おむすび”といい、俵形でゴマをふる。東京は“おにぎり”といい、三角か丸形。海苔を巻く。
②京都の公家に仕える女官たちは、味噌を“おむし”といい、後に握った飯に味噌をつけて焼いたのを“おむすび”といったのが、関西の“おむすび”の起源といわれている。江戸の武家の女房は、握ったご飯をストレートに“おにぎり”といった。三角は男社会の“角”好きであり、海苔は江戸の特産物。
☆「肉」:
①食材としての肉は、関西では“牛肉”を使うが、関東では“豚肉”を使う。
②関西には古くから但馬牛、その子孫である神戸牛、松阪牛など牛肉が存在していたのに対して、江戸など関東には肉牛が少なく、「肉」といえば豚肉であった。
☆「豚まん」:
①大阪では“豚まん”といい、東京では“肉まん”という。
②大阪には古くから牛肉があったため、豚肉を使った料理は、はっきりと“豚”というが、牛肉があまりなかった東京では、肉といえば豚肉であった。
☆「ウナギのさばき方」:
①大阪では、ウナギをさばく時には腹から割いて、頭から尾まで使うが、東京では、背中から割いて、頭を切り落とし骨と腹わたを取り除く。
②大阪では、美味しくて栄養のあるウナギの身体の全てを料理に使うという実利的な考え方でさばくが、東京では武士が切腹を嫌うことより背開きにし、形と見栄を重んじて肉の厚い腹のみを使う。
☆「豆腐」:
①大阪では“絹ごし豆腐(女豆腐)”を好むが、東京では“木綿豆腐(男豆腐)”を好む。
②大阪では京都の公家文化の影響で、色が白く柔らかで、いろいろな形に切って使える“絹ごし”を好み、江戸では武士や職人の男社会の影響で、真っ白にはこだわらず、固く切っても角が崩れない“木綿”を好んだ。
☆「ところてん」:
①江戸時代以前から、大阪では“ところてん”は黒密をかけて“おやつ”として食べたが、東京では三杯酢で“食事”としても食べた。
②公家たちは、ところてんを砂糖で食べたのが、大阪に伝わった。ただし、高価な砂糖の代わりに黒密を使った。甘いのでおやつとして食べた。一方、江戸では醤油の普及と、甘味=女性的との考え方から三杯酢で食べた。せっかちな江戸っ子は「ところてん」が喉ごしの良いことと満腹感があることで食事にも食べた。
♪大阪と東京の食文化ではずいぶん違うものですね。ご紹介しました例のほかに、「だし」や「寿司」、「いなりずし」、「すき焼き」、「善哉」、「食パン」など大阪と東京で異なる食文化の例はたくさんあります。興味のある方は、引用した文献などを参考にしてください。しかし、どの例にも冒頭にのべました何個かの要素がつらぬかれておりますし、それなりの理由があります。
♪また、今の時代はテレビ、ラジオ、新聞、書籍、インターネットなどで、どの地域でも情報が共有されており、旅行で往き来したり転勤や結婚などいろいろな地域の人がいろいろな地域に住みついておりますので、ある地域特有の食文化(食材や料理など)が他の地域に知れわたり、他の地域で他の地域の商品が売られたり料理が楽まれたりしております。ここにあげた“食文化の違い”が東西で平均化しております。それでも“大阪の食文化”や次にのべる“大阪発祥の食文化”を産み育てた大阪人の精神は、いまだに料理や商品にも受け継がれている、といってよいのではないでしょうか。
§ 大阪発祥の食と食文化
♪今回のべた「大阪と東京の食文化の違い」や、“大阪人と東京人の気質の違い”、特に大阪人の庶民性、実利性、現実性、新しいものへの挑戦精神から生まれた「大阪発祥の食と食文化」について例をあげて書いてみたいとおもいます。
☆「バッテラ」。明治26年(1893年)に、大阪のすし屋が大阪湾でとれるコノシロという白身魚の腹に酢飯を入れた(もしくは二枚におろして酢飯をはさむ)すしが「バッテラ」の起源といわれております。ポルトガル語で舟を“バッテイラ”といい、酢飯を入れたコノシロの姿が舟の形に似ていることから、「バッテラ」といわれるようになりました。後にコノシロは不漁になり、サバに変わりました。酢でしめたサバを薄く剥いだもの、白板昆布を酢飯の上にのせ、四角い枠の中に入れて押した後に切ったものです。
☆「テッチリ」。大阪ではフグの料理のことを“テッ・・・”といいます。それは、フグも鉄砲(テッポウ)も当たれば死ぬからです。例えばフグの鍋ものを「テッチリ」(“チリ”は、フグが熱せられるとチリチリになる様子をいいます)といい、フグの刺身を“テッサ”といいます。瀬戸内海では山口県をはじめとしてフグがとれますが、大阪人はフグのあっさりした味と品の良い白身の色を好みました。「テッチリ」には徳島産のスダチの風味が最適です。江戸ではフグやスダチの産地に遠く、白身のフグより赤身のマグロを好むので、フグ料理は普及しませんでした。
☆「オムライス」。それまでは高級でありレストランで出されていた「オムライス」(オムレツとライスが別々)を、大正14年(1925年)に大阪の“ホルモン焼き屋”の主人が大衆用に、10種類の野菜などの具を入れたライスを薄く焼いた卵で包んで一体化した「オムライス」を出したのが初めてです。この主人がこのような「オムライス」を料理したきっかけは、胃腸の弱い常連の客のために出したことにあるそうです。優しい主人ですね。
☆「昆布だし」。江戸時代に河村瑞賢という人は、北前船の航路を開発しました。昆布は北海道(松前)と大阪を結んだ北前船の西航路により、大阪に運ばれて来ました。運ばれて来た昆布からダシをとると、旨味が出てきて色は淡く、味、色ともに大阪人好みのものでした。さらに昆布からの旨味や色は、料理の素材の繊細な風味を引き出すために、日本の料理には欠かせないダシとなりました。後に「昆布だし」を“鰹だし”に合せることにより、“合せだし”が生まれます。
☆「グリコーゲン入り菓子」。大正9年(1920年)に大阪の江崎利一により、当時良く売れていたキャラメルとの差別化を意図して、カキからとれた筋肉や脳に良いとされるグリコーゲンをキャラメルに入れた“グリコーゲン入りの栄養菓子”が考え出されました。グリコーゲンがいかに身体のエネルギーとなるか、を両手をあげてゴールするランナーを宣伝としてイラストしたり、四角い形のキャラメルに対して一粒をハート型にしたり、おもちゃを“おまけ”につけたり、と新しさと差別化を工夫した結果、ヒット商品となりました。
☆「即席カレー」。国産初の粉末カレーを作ったのは、大阪の薬種問屋です。これで、家庭でカレールーを小麦粉から作る手間が省けました。カレーは高級料理であり、ライスと別に出されていました。昭和4年(1929年)に、高級料理のカレーをライスと一緒にして“ライスカレー”として、食堂に出したのは大阪のデパートです。昭和44年(1969年)には、お湯で温めるだけで食べられる“レトルトカレー”が大阪で生まれました。この成功のためには、レトルトカレーそのものの開発はもちろんのこと、カレールーを入れる袋の開発にも苦労しました。当初は、ポリエチレン系のパウチを作りましたが、光と酸素に弱く、商品として出すには問題でしたが、後にパウチをアルミパウチにすることによりヒット商品に育ちました。
☆「回転寿司」:東大阪にあるすし屋の創業者である白石義明が、ベルトで流れるビールの自動生産ラインにヒントを得て、昭和33年(1958年)に初めての「回転寿司」が生まれました。これにより、庶民がなかなか食べられなかった高級な寿司が、大衆的となり子供でも食べられるようになったわけで、“回転寿司”は、日本における20世紀の代表的な発明の一つといわれております。
☆「きゅうり巻き」。大阪の細巻き寿司である「きゅうり巻き」の元祖は、明治末期に大阪で生まれた“こうこ巻き”ですが、「きゅうり巻き」としては北の新地のすし屋が、握り寿司を食したあとの客に、あっさりとした「きゅうり巻き」を出したのがはじまりです。ちなみに、江戸ではキュウリの切り口が、徳川家の三つ葉葵の家紋に似ているために、切ったり食べたりすることをためらったともいわれております。
♪「大阪発祥の食と食文化は」は、ご紹介した他に「ホルモン料理」、「お好み焼き」、「即席麺・インスタントラーメン」など多数あります。大阪人の新しくユニークなものを考え、作り、育てる意欲と挑戦する気質には感心します。そこには、「東京との食文化の違い」にも共通するのですが、形式に縛られず実利や効率を重んじ、庶民性に富んでいるのが特徴ではないでしょうか。
関連するこぼれ話はこちら
2010/12/27(月)食文化こぼれ話Part1 - 大阪府
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前垣和義 「東京と大阪・「味」のなるほど比較辞典」PHP文庫
(株)なにわ食品「大阪の食文化」
http://www.naniwa-shokuhin.com/syokubunka/syokubunka_top.html
東西文化(WEBマスター 東西太郎)「写真で見る関東関西の違い 食べ物」
http://www.touzai-bunka.com/
元禄産業(株)「回転寿司の歴史」
http://www.mawaru-genrokuzusi.co.jp/history/